私たちが歩んで来た道

私の名前はキース・オルソンです。写真で私の隣にいるのは妻のセリアです。私たちはOMFという宣教団体の宣教師として日本で暮らしています。今、私たちは日本語を勉強中なので時々変な日本語になってしまうことをお許しください。このリンクは私たちが日本語で書いてみたブログです。読んでもらえたら嬉しいです。


キース・オルソン

ノース・ダコタ州は緑
私は1982年に北アメリカの真ん中で生まれて育ったキース・オルソンです。色々な町に住みましたが、人が少ないノース・ダコタ州が特別に好きでした。そのところでは、みんな少なくとも一年に2回教会へ行きます。クリスマスとイースターのためです。私は子供のとき毎週教会に通いましたけど、好きじゃありませんでした。教会で意味が古い賛美歌を歌ったり、複雑な祈りをしたり、教会員といっしょに礼拝の言葉を覚えたりしましたが、その意味がよくわからなかったので、神様は遠くて私と関係がないと思いました。

中学生のときキリスト教についてたくさん質問したかったですが、できませんでした。みんなの答えは「そのまま信じるだけでいい」ということでしたから、だんだん私の信仰は弱くなりました。それでも、大事な信仰を守りたかったので私は聖書を読みませんでした。もし私が聖書の中に質問の答えを見つけたら、聖書は間違いだと思って、信仰を無くすかもしれないと思ったからです。

 高校4年生のとき色々大変な経験を味わいましたが、ある人に会って、いっしょに彼女の教会へ行きました。実は彼女のことが好きでしたが、彼女は他の州に引越してしまいました。
とにかく、その教会の第一印象はちょっと面白かったです。ドアを開けると、床に身を伏せている人がいました。その人は祈っていました、その教会は神様を自然に賛美するように励ましていましたから、そこで色々なことを習いましたけど、中でも特別なことは祈り方です。牧師が祈るときは親友のように、神様と話しました。そのときまで私は、神様は遠いと考えていましたが、現実には神様は近いということがわかりました。そして聖書を読んで、びっくりしました。信仰を無くさずに、強めることができました。大学生のとき私は神様のために私の全てをささげようと決めましたが、まだ宣教師になりたくありませんでした。

大学の卒業の前に神様を愛するセリアという女の人に会って、結婚しました。卒業の後セリアといっしょにカナダのバンクーバーのリージェント・カレッジという神学校に通いました。日本人の友達ができて、三人でワーキングホリデービザを持っている日本人たちと英会話をしました。そのときからセリアと私は日本の文化と日本語に興味を持ちはじめました。

そして、2009年7月に札幌に引っ越して、9ヶ月住みました。すごく良い経験でした。英語を教えたり、日本人と聖書を読んだり、日本語を勉強したり、礼拝のためにピアノを弾いたりしました。そして日本語ができないので、いつも祈りました。子供がサッカーボールで転んで、腕を折ったとき、私には助けられないと思いましたが、祈ることができると考えて、祈りました。説教を聞いたとき、全然わかりませんでしたが、牧師と教会員のために祈りました。札幌駅で歩きながら、祈りました。

ある日私は英語を教えるために教会へ行く途中で小学校のまえを通りましたが、スクールバスが何台も止まっていました。こどもたちがスキー学習から帰ってきたのです。かわいいふわふわのスキーズボンを履いている子供がいっぱいいました。そのとき神様が私に「よく見なさい。」とおっしゃいました。「はい?」と私は答えました。神様はおっしゃいました。「たくさん子供たちが見えるだろう。私はあの子供たちがこんなに大好きだ」。。。私は神様の子供たちへの愛を感じました。愛が溢れていました。その大きすぎる愛を子供たちに伝えたかったのですが、動けませんでした。何も話せませんでした。そのことで、私は神様から与えられた一生の使命を知りました。ですから、できるだけ私はずっと日本で神様の愛を伝えるつもりです。

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